お彼岸によせて【お彼岸の起源とは】

お彼岸に先祖の供養をするというのは聖徳太子が四天王寺において太子みずから「釈迦如来転法輪所、当極楽土東門中心(上写真の四天王寺西門鳥居の額銘)」と宣言され、彼岸に四天王寺の西門に夕日が沈むのを拝すことが行われたのが初めであるといわれます。
『梁塵秘抄』に

極楽浄土の東門は 難波の海にぞ向かヘたる 転法輪所の西門に念仏する人参れとて(一七六番歌)

とあり、この四天王寺のある場所こそがお釈迦様が説法された場所であり、極楽浄土から見れば東の入口、それが四天王寺の西門である、と詠っています(下写真 四天王寺東門より西門を望む)。
お釈迦様といえば天竺、インドで説法されたと我々は考えますが、聖徳太子が注釈をされた『勝鬘経』のテーマは遠く離れた地であっても釈迦牟尼は慈悲の故に出現し説法されるということにあります。まさに四天王寺の金堂は釈迦牟尼が出現され説法された聖地なのだということです。

文献学的には『日本後記』延暦二十五年三月辛巳の条に「奉爲崇道天皇。令諸国国分寺僧春秋二仲月別七日。讀金剛般若經」とあり、桓武天皇が早良親王の供養の為に諸国の国分寺の僧を集め金剛般若経を讀誦する法要をしたことが記されており、これが彼岸供養の初出とされます。

それ以前にも桓武天皇は四天王寺へ延暦20年の春彼岸にご臨幸されておりますので、彼岸供養はかなり古くから行われていたのではないかと思われます。

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