敬老の日によせて 『百石讃歎』

今日は敬老の日ですね

『百石讃嘆』は御詠歌では(ももさかさんだん)と読み、聲明曲としては(ももじゃくさんだん)と読みます。

 百石(ももさか)に 八十石(やそさか)そへて 給ひしに 乳房の報い 今日ぞわがするや 今ぞわがするや 今日せでは 何かはすべき 年も経ぬべし さ代も経ぬべし

 私たちは母の乳を百八十石(三二四七〇ℓ)も戴き育ててくれました。母の恩は天に極まりなく簡単に返せるようなものではない、という母の恩を讃嘆し、これに報いる意味を詠じた古歌です。行基菩薩の作とも光明皇后の御作とも伝えられています。

 「百石讚嘆」の初出は、永観二年(九八四)に源為憲によって著された『三宝絵』僧宝の巻の「灌仏」に、宮中における灌仏会の創始や灌仏の由来などについてと、『浴像経』の偈及び『百石讃嘆』が記されています。

「讃嘆」とは七五調の和讃の形式が整う前段階の和文の仏教歌謡とのことで、『百石讚嘆』、『法華讃嘆』、『舎利讚嘆』が三讚嘆に数えられ聲明曲が伝承されています。

 母親の乳が百八十石というのは多すぎる気がしますが、これは『中陰経』と『心地観経』というお経に、弥勒菩薩が娑婆世界四大洲のうち我々の世界である南贍部州の人間は三歳までに一百八十斛の母乳を飲み、東勝身洲の住民は一千八百斛、西牛貨洲は八百八十斛、北俱盧洲の住民は乳を飲まず七日で成人し、中陰の衆生(亡くなって四十九日の間)は風を飲むと答えた、という説からと言われています。

 「灌仏」とは灌仏会、つまり現在でも四月八日に行われる「花まつり」釈尊降誕会のことを指します。お釈迦様の誕生尊像に甘茶をかける=灌仏する行事です。このお釈迦さまの誕生を祝う灌仏会に唱えられていたとされます。

 我々の感覚としては灌仏会に母親の恩徳を讃える歌というのはどうも相応しく無いような気がします。

 『灌洗仏浴像功徳経』には、灌仏会は「七世の父母、五趣眷属、兄弟妻子の厄難」の追善になると書かれており、実は盂蘭盆供養と趣旨は似ているわけです。
 また、『灌臘経』では、臘とは夏安居の終了日の七月十五日のこと、臘仏は臘日に仏に供物を捧げることを指し、灌臘とは供物を仏像にかけて捧げる供養法のことです。このお経では四月八日と七月十五日に仏像に灌臘すベきことを說き、ここにも四月八日とお盆の行事の近似性があります。

 『元興寺伽藍縁起』には、仏教伝来の際に百済国聖明王より太子像と灌仏具などが奉献されたとあります。
 一般に知られているような右手を挙げて偈を説く姿の誕生仏は古代インドのものは現存せず、中国でも、仏伝に忠実な、両手を下げて灌頂を受ける姿の誕生仏が少例あるのみで、誕生仏は朝鮮半島と日本に圧倒的に作例が多く、誕生仏の現存数からいえば、灌仏会は仏教が東に伝来するにつれて盛んになったようなのです。

 『日本書紀』によると、推古十四年(六0六)四月八日に元興寺に仏像を安置し、この年より四月八日と七月十五日の「設斎」が恒例として始められた、とあります。「設斎」は灌仏会と盂蘭盆会と考えられており、仏教の年中行事としてこの二法会が最も早く移入されたということになります。

 仏生日は二月八日と四月八日の二說がありますが、日本では四月八日の說をとることが多いのです。これは、日本の民間行事では、四月八日を卯月八日・ようかびなどと称し、野山から花を摘んできて竹竿の先に付け庭先などに高く掲げることや、山開きや墓参などさまざまな行事が全国各地で行われています。農耕の開始期にあたって、田の神である祖霊を山から迎えるまつりであり初夏の望月を新年としていた古い時代の名残りではないかと言われています。

 仏教伝来の初期においては花まつりはお盆と同じ先祖のまつりとして受容されたものだったのですね。そこで『百石讃嘆』が唱えられ、花まつりは仏事として広く日本に根を下ろすことになったのだと思います。

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