10分でわかる 普賢菩薩の秘密

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本年の干支、巳年の護り本尊は普賢菩薩ですね。

普賢菩薩は現代日本においては観音菩薩や文殊菩薩、弥勒菩薩などに比べるとそんなに有名な感じではないですね。ところが、本当はかなり重要な菩薩なのです。


普賢菩薩にも誓願があります。

『華厳経』の普賢行願讃には、この世の全ての凡夫の三業の行いや煩悩が、消滅するまで願うことをやめないという、普賢菩薩の十の大誓願が教えとして説かれております。

一 礼敬諸仏(諸仏を敬い礼拝する)

二 称賛如来(如来を称賛する)

三 広修供養(諸仏にあらゆる供養を惜しまない)

四 懺悔業障(過去の罪科を悔い改め、仏に告白する)

五 随喜功徳(功徳を共に喜ぶ)

六 請転法輪(諸仏の説法を請い願う)

七 請仏住世(諸仏が常にこの世に住して導いてくれることを願う)

八 常随仏学(常に諸仏に学ぶ)

九 恒順衆生(恒に諸衆を敬う)

十 普皆回廻(全ての功徳をあまねく振り分ける)

 

よく見て頂くと、天台宗の法華懺法という法要は大体この順番で偈誦を唱え心を調えています。つまりこれは普賢菩薩の願いであり修行なのです。それで普賢行願と言うのです。

特に懴悔文「我れ昔より造る所の諸の悪業は、皆な無始の貪・瞋・痴に由る、身・口・意従り生ずる所なり、 一切、我れ今皆な懺悔したてまつる」というお経は各宗派で読まれますが、これも普賢行願讃の中の一節です。

あらゆる法要・修行は普賢菩薩の十の大誓願で心を調えるのです。

普賢菩薩は仏道修行の模範であり守護者なのです。

また、法華経には法華行者の守護者としての普賢菩薩が説かれています。

 『法華経』の前半では、菩薩の主役は「智」の文殊菩薩、中ほどの主役は「慈」の弥勒菩薩です。そして最後の結びに「行」の普賢菩薩が登場します。

『法華経』の教えを聞いて諸法実相の智慧を知り、久遠実成の慈悲に生かされ、その教えを実行してこそ意味があるということを表していると言われます。

 

『法華経』の28章のうち、最終章は、「普賢菩薩勧発品」です。そこには、お釈迦さまが、『法華経』の行者が備えるべき法を普賢菩薩に説法します。それを聞いた普賢菩薩は、「私はこの後500年の濁悪じょくあくの世で『法華経』の行者を守ります」と誓うのです。

特に普賢菩薩四の行が説かれています。

一 釈迦如来の説かれた法華経の教えを実行する。

二 法華経の教えを、総ての迫害から守る。

三 法華経の教えを実行する者を、迫害と危害から守る。

四 法華経の教えに背いた者も懺悔滅罪をすれば守る。

 

【法華=大乗仏教】の理想的行者にして守護者、それが普賢菩薩なのです。

普賢菩薩は密教においても大変重要な位置を占めています。

普賢菩薩は大日如来より密教のアビシェーカ(灌頂)を受け、密教の菩薩として生まれ変わり金剛名を授かり密教の付法を受けます。これを金剛薩埵といい、眞言第一祖・金剛薩埵は普賢菩薩なのです。

金剛薩埵がものを言わぬ沈黙のブッダである大日如来より密教の奥義を受け密教がスタートしました。

その金剛薩埵が悟りを開いた姿が阿閦如来であり、阿閦如来と金剛薩埵は同体です。

金剛界系密教は阿閦如来を中尊として無上瑜伽へと発展してゆき、時輪尊など異形の尊格に発展しますが、それは阿閦如来の所変であり、もとは普賢菩薩なのです。 

普賢菩薩=金剛手菩薩・金剛薩埵=阿閦如来=時輪仏

 

普賢菩薩を追って行くと密教の流れが法華で説かれた普賢行が発展して完成されたことがわかるのです。法華=密教でありその教えは変わらない同じものなのです。


普賢は sam-anta-bhadra- 辺を共にする>どの場所でも、幸運なるもの、どの場所でも、幸運なるもの、どの場所でも幸せを実現するもの>常に努力/精進するもの という意味です。

bhadra- は「賢」と訳されていますが「幸いな者」というニュアンスの方が強いでしょう。

常にどんな境遇でも、苦しい時でも悲しいことがあっても、その事象に左右されず心は幸いである人、それが大乗の理想の人です。普賢とはまさにそういう意味なのですね。


普賢菩薩のご眞言は「おんさまやさたばん」(Oṃ samayas tvaṃ. オーンサマヤストゥヴァン)

「オーン汝は三昧耶なり」

オーンは、インド古来より神聖な語とされたもので、帰命、供養などの意味があります。『守護国界主陀羅尼経』にaumの合成語であると言い、「a」は法身、「u」は報身、「m」は応身の三身を象徴し、すべての仏たちはこの聖音を観想する事によって成仏すると説かれています。


サマヤ(samaya三昧耶) は sa+ maya(√mā-)で、平等、誓願、約束、契約、除障、驚覚など様々な意味があります。ここでは、平等に誰でも悟りが開けるという意味「平等」に解釈するか、「誓いを持つ者」と解しても良いでしょう。


またの説では、 samaya- はsam-√i- で、原義は「いっしょに/ともに 行く/移動する」そこから「同行、平等、普遍、共通、同じ方向にいく>約束をまもる>誓いをもつ>誓願」の語義とされます。


tvaṃ は 2 人称単数代名詞主格。「汝は」

この真言はそのまま三昧耶戒(密教の戒律)の真言であり、潅頂会の入壇に先だって受者に授けられるものです。私自身の中に悟りへ導く為の力があると言うことを自覚する真言と言えましょう。


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